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浦島伝説

丹後には、浦島伝説にまつわる神社が網野町と伊根町にあります。
宇良神社には2月に参拝しましたが、先日は嶋児神社を参拝しました。

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嶋児神社の画像です。

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神社からの景色も良いですよ。

丹後に伝わる浦島伝説は、逸文丹後風土記の水江浦嶋子として→

 昔、銚子山古墳の地続きに日下部氏の屋
 敷がありました。日下部會却善次夫婦に
 は子供がなく、子宝に恵まれたいと百日
 祈願をしていました。
 満願の夜、夫婦は不思議に同じ夢を見ま
 した。神から「ふたりの願いを聞き届け
 よう。明朝、福島へ来い」とのお告げで
 す。翌朝、出かけると赤子が置かれてお
 り、夫婦は「嶋子」と名づけ大切に育て
 ました。

 釣り好きの若者に成長した嶋子は、澄の
 江での漁のときは釣った魚を一旦磯の
 「釣溜(つんだめ)」にビクのまま浸け
 ておいたといいます。

 ある日、嶋子は福島で大変美しい娘に出
 会いました。乙姫様でした。ふたりは夫
 婦の約束をし、小舟で竜宮城へ行きまし
 た。手厚いもてなしを受け3年の月日が
 経ちました。嶋子は故郷が恋しくなり、
 帰ることになりました。乙姫様が「お別
 れに手箱を差し上げます。再びお出でく
 ださるお気持ちがあるなら、決して中を
 お開けなさいますな」と美しい玉くしげ
 (玉手箱)を渡しました。

 嶋子は懐かしい万畳浜へ帰ってきました。
 ところが屋敷に着いてみると、一面が荒野原に・・。竜宮城
 での1年は、人間界の何十年にもなっていたのです。嶋子は
 悲しみ、途方にくれました。その時、玉くしげのことを思い
 出し、これで数百年の昔に戻れるのではと箱の蓋を開けまし
 た。すると中から白い煙が立ち上り、嶋子はしわだらけのお
 爺さんに。驚いた嶋子は思わず自分の頬のしわをちぎって榎
 に投げつけました。

 その後、嶋子がどうなったかはわかりません。ただ、しわを
 投げつけたという一本榎は「しわ榎」といわれ、今では姿形
 を変え、日本海を渡って来る浜風にゆられ寂しそうに立って
 います。
詳しくは丹後 浦島伝説をご覧ください。結構面白いですよ。

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コメント (10)

こんばんは

今日はご苦労さんでした。

浦嶋伝説にしわえのきは知っていますが、
こういう体系だった話ははじめてです。
地元にいながら大変ためになる
今日の記事です。(^^;

明日の記事も楽しみです(^^)

こんばんは
丹後の海岸ってなんで、こんなに哀愁があるのでしょうね

おはようございます

嶋児神社の画像の松から海風の様子が分かります!

丹後に伝わる浦島伝説
詳細な話は初めてです
面白いですね♪

meganeさん

おはようございます。

その場所にポツンとある神社なんですね。

こういうのは珍しいと思います。

浦島伝説と関係があるんですか?


お早う御座います

>嶋児神社の画像です。
浅茂川の海岸で見ることが出来ますね。

>丹後に伝わる浦島伝説は、逸文丹後風土記の水江浦嶋子として
先祖の思いが伝わってきます。
大切に受け継ぎたいですね。

こんばんは、おやじさん。最近、京丹後のこといろいろ調べていますが、結構はまります、これからもできるだけ楽しんで、調べていきます。

こんばんは、加藤先生、私は丹後の海岸は、水墨画だと思っています。

こんばんは、吉野聡建築設計室さん、昔話も結構奥が深かったレしますね、私も興味深く、調べさせていただきました。

こんばんは、溶射屋さん。案外こじんまりした神社でした。まだこれに関連する画像を用意したかったのですが、ちょっと不足してましたね。

こんばんは、katagiyaさん。伝えなければいけないこと、たくさんありますね、後世にどれだけのことが残せるか、考えてしまいます。

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2009年03月02日 18:43に投稿されたエントリーのページです。

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