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静神社

%EF%BD%93%EF%BD%88%EF%BD%89%EF%BD%9A%EF%BD%95%EF%BD%8B%EF%BD%811.jpg 源義経の愛妾・静御前の生誕の地とされる、磯地区に行ってみました。丹後七姫の中の一人、ちょっと興味がありましたので・・・・。
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ひっそりと静神社はありました、現在の神社は、もと在ったところから200m離れて移転されているそうです。静御前の木像は残念ながら見ることはできませんでした。
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スイセンを「静御前の花」とするということでした、たくさんのスイセンが咲いていました。崖の上の展望台から見る景色は、とてもきれいでした。
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展望台から、静御前の生誕の地といわれる磯地区を撮影しました。
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磯地区まで下りて、船隠し岩とか爪剥ぎ岩(確かそんな名前だったと思う)をさがしてみました、当地の人に聞いたりしましたが、はっきりしたことは聞けませんでした、でも皆親切な人たちでした。着物などは売られてしまったこと、たくさんの小銭や、小判が出てきたこと、倉が火事あって、たくさんのの資料が焼失してしまったことなど、教えていただきました。
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帰る頃には、あたりはもう暗くなっていました。生誕の地と言う石碑ごしに海を望みます、静御前の悲恋、少しセンチメンタルになりました、似合わんな。
悲劇の生涯をおくった静御前を祭る神社 牛若丸として有名な源義経(幼名:牛若)との悲劇的な人生を送った静御前を祭る神社。神社は網野町の磯という地域に今でも存在する。  網野町の磯(小さな海側の村)で禅師の娘として生を受けた静御前は、6歳で父を亡くしそのまま母とともに京都へ上京し、京の地で、巧みな舞と美しさで静は指折りの白拍子に成長する。源義経(幼名:牛若丸)に舞姿を見そめられ、側室となって男子を産む(静18歳、義経27歳の時)。源義経は、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後、兄「源頼朝」に吉野に追われ、義経と静御前の子供(男の子)は頼朝により生まれたその日に殺されてしまう(由比ヶ浜)。わが子を失った静御前は、禅尼となった母と共に、故郷の網野町・磯に戻り、生家跡に小さな庵を造り、この丹後の地から、義経の無事と愛児の冥福を生涯祈り続けたとされています。静御前は、二十余歳という若さでこの世を去った。この静神社には、静御前の木造が祀られています。

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コメント (20)

網野出身の私にはとってもなじみがあります、その山には昔よく家族で登りました、山菜を求めて。でも、静御前の事そんなに詳しくは知りませんでした。
勉強になりました^^

こんばんは

網野には長年勤務して近くには
良く行きましたが神社には行った
ことがありません。

歴史がよく分かる解説大変参考に
なりました。(^^)

meganeさん

こんばんは!

meganeさんは色んな神社のある場所を知っているのですね。

この神社はこじんまりとしていますね!!

でもご利益はバッチリだったりして(∩.∩)

4枚目の写真、見晴らしがいい場所・・・・気持が安らぎます。

明日~明後日と出張でお邪魔できないので月曜日にお邪魔させていただきます(∩.∩)

こんばんは。
近くにありながら、行った事ありません。
意外とつつましい神社なのですね。
悲しい生涯だったのですね。

今晩は
地元の人から、貴重な、取材をされましたね。
私も大変、勉強になりました。

mami:

こんばんは。

静御前を祭る神社があったのですね。

>現在の神社は、もと在ったところから200m離れて移転されているそうです。

そう言えば区画整理などでは神社は移動しないで、お寺は移動しますね。
神社は神様が祭られているからでしょうかね。

おなじく網野出身で網野に在住していながらまだ見に行ってません
センチメンタルもお似合いですよ^^

こんばんは
頼朝は義経の若さ、一途さが頼もしくもあり、その反面わが身を越すのではないかと不安だったにでしょうね。戦国の世ですから、義経の子供は邪魔そのものだったのでしょう。
 逆説ですが、義経が勢いで突っ走る物だから頼朝の手に負えなくなった説もありますよ。
 政権争いはすさまじいということでしょうか、頼朝にとって・・

おはようございます

悲劇の生涯をおくった静御前を祭る神社の話
なんて言って良いのか・・・悲しいです

こんばんは、kanakoさん、京丹後でも知らないことがたくさんありますね、最近はまってます。

こんばんは、おやじさん。
磯区へいって、その地区の人に気軽に聞いたのですが、その熱心なこと、軽く考えていたのが、恥かしかったです。

こんばんは、溶射屋さん。丹後は歴史の始まり、いろんな出会いがあります。もう少し調べていきます。
>明日~明後日と出張でお邪魔できないので月曜日にお邪魔させていただきます(∩.∩)

頑張ってください。

こんばんは、うめちゃん、静神社にはいろんな所から、参拝に来ていらっしゃいました。

こんばんは、katagiyaさん。
勉強になりました、丹後にも歴史は残っています、こんなこと興味なかった私なのですが・・・・。

こんばんは、mamiさん。
>静御前を祭る神社があったのですね。

生誕の地は確かなようですが、不確かな部分もあって、それがロマンを誘いますね。

今晩は、umeda-tさん。近くにいるとなかなか行きませんね、私もそうです。ブログを始めてなかったら、全く知らずにすごしていたと思います。

こんばんは、joyokudaさん、丹後で生きた歴史が発見できますね、今まで教科書でしか学ばなかったのですが・・・。

こんばんは、吉野聡建築設計室さん。私は、わが子が殺された静御前の悲しみを想像すると、頼朝がにくくなります。

静御前
ドラえもんの静ちゃんのモデルですよね

こんばんは、加藤先生。
>ドラえもんの静ちゃんのモデルですよね

そうなんですか、そういうことですか。面白いですね。

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2009年02月27日 18:56に投稿されたエントリーのページです。

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